人は承認欲求があります
自分がやったことを褒めてもらいたい
自分の存在を誰かに認めてもらいたい
褒めてもらったり
認められることで安心を得る
家族や友達、学校や会社の人に
褒めてもらいたい
認めてもらいたい
社会に
褒めてもらいたい
認めてもらいたい
褒めてほしいから頑張る
認めてほしいから頑張る
でも、頑張り過ぎて
苦しくなってしまうことはありませんか?
はじめのうちは
その人達に褒めてもらえるのが嬉しいし
満足感や安心を感じるから
もっと褒めてもらい
だから
褒めてもらえそうな行動や
認めてもらえそうな行為をする
例えば
SNS の「いいね」
「いいね」がいっぱいつくと嬉しい
「いいね」をつけてもらえれば
情報が拡散されやすくなり
より一層いろんな人に
見てもらえる可能性が増える
特に期待していたわけではないけど
なんとなく投稿した内容に対して
「いいね」がたくさんつくと
嬉しく感じてしまうことはありませんか?
それにSNSでは
「いいね」が数字として表されるので
「褒められた」
「認められた」
ということを認識しやすい
数字を増やしたいから
「いいね」がつきそうな投稿が
できるように頑張る
だけど
SNSの「いいね」だけではなく
人や社会から
褒められたり認められることを
求め過ぎることは副作用を伴う恐れがある
その副作用とは依存と自分軸のずれ
承認欲求が満たされないと
不安に陥る可能性が出てくる
褒められたり、認められたりすることは嬉しい
「自分は存在していてもいいんだ」
という嬉しいという感情と共に
肯定感にもつながる

だから
承認要求が満たされないと
肯定感を得られないため
不安を感じてしまうことがある
その不安が
自分を褒めてくれたり
認めてくれる存在に
価値観をすり寄らせる
SNSならば
「いいね」がたくさん欲しいと
「いいね」がつきそうなことを
するようになるかもしれない
人に対しても
褒められたい、認めてほしいと思ったら
その人から
褒められたり、認めてもらえそうなことを
するようになるかもしれない
自分が選択するその行動の動機が
自分以外になってしまう
自分の行動の理由が
「いいね」を多くもらうことや
「その人」からの肯定的な評価を得るため
になってしまう
それはつまり…
「自分がやりたいから」
ではなくなってしまう
自分の行動の理由が
自分以外の人の反応に依存し
自分の考えや感情、価値観などによる
自分軸での行動ではなくなる
親に褒められたいから
会社に認められたいから
社会で生活する上では学校や会社の
ルールを守るということは必要
その集団に認められなければ
そこで活動していくのは難しい
だから
自分がやりたいことを100% 実行するのは
集団で生活している以上
難しいかもしれない
だけど
「自分のやりたい」ことを
無視し続けてしまったら
次第に自分を見失ってしまう…
自分を見失ってしまったら
自分が取る行動の理由が
自分以外になってしまう
〇〇に褒められたいから
〇〇に認められたいから
「いいね」をたくさんもらいたいから
あなたは
誰かに褒められたり
認めてもらうためだけに
生きているですか?
褒められたり、認められたりしたいけど
そのために行動を続けることに対して
違和感を感じているのではないでしょうか?
だから
この記事のタイトルに
惹かれたのではないでしょうか?
あなたが感じたその違和感の源は
「本当の自分」ではないでしょうか?
「自分のやりたいこと」が
顔を覗かせているのではないでしょうか?
あなたは
誰かに褒められたり認めてもらうためだけ
に生きているのではない
時には
自分のために生きてもいい
「自分のやりたいこと」を
今すぐ実行してくださいとは言いません
だけど
それに気づいたら
その存在を大切にしてあげてください
忘れないでいてあげてください
時には
箱から宝物を取り出すように
愛でてあげてください
人生の主人公が自分以外にならないために
今回伝えたいメッセージは
誰かに
褒められたり
認めてもらうためだけに
生きるのではなく
本当の自分も大切にしてあげよう