幸せになりたいと誰もが願っている
どうしたら幸せが手に入るのだろうか?
今より幸せになるには何をしたらいいか?
誰だって幸せになりたい
自分が幸せになりたいのなら
心がけることは2つある
1つ目は
自分に優しくなろう
自分が幸せになりたいのに
なんで「自分に優しく」
ならなきゃいけないんだろう?
と、思われたかとしれないけれど
自分が他人から優しくされたり
困った時に助けてくれたり
悩んでいる時にそばにいてくれたりすると
嬉しいし
安心したり
幸せを感じる
助けてくれる人や
そばにいてくれる人にとって
その行為はお金にはならないけど
助けてくれる人の心の中に
優しさがあるから
「その優しさは
どこから来ているのだろう?」
と考えてみた
助けてくれる人は
心に余裕があるからできる
心に余裕がないと
自分のことで精一杯になっていて
他人のことなど気にしていられない
本当は疲れているのに
自分をいたわることなく
休まないでいたり…
本当はイライラしているのに
それを隠して笑顔で演じていたり…
本当はやりたいことがあるのに
他人を優先して
自分のことを後回しにしたり…
自分に優しくしていないと
心が疲れていく
自分に優しくすると
心に嘘をつかない
無駄なエネルギーを使わないから
心に余裕が生まれる
その余裕が視界を広げ
自分以外の人を見ることができる
だから
人が困ったことを感じ取ると
「優しさのおすそ分け」ができる
その「優しさのおすそ分け」は
受け取った人の心には
嬉しさや
人の温かみ
といったものとして残るだろう
「優しさのおすそ分け」は「幸せの種」
人の心に渡ったその種は
受け取った人の心の中で芽生える
しかし
「優しさのおすそ分け」を
当然だと思っていれば
「幸せの種」からの
芽生えはないかもしれない
助けてもらって当然
やってもらって当然
と、捉えていたら…?
「優しさのおすそ分け」は
当然、自分が受けるもの
となるだろう
そこに
幸せと感じる要素はあるだろうか?
「幸せの種」から
ちゃんと幸せを感じ取れる為に必要なのは
感謝すること
言葉を変えれば
「ありがとう」と思うかどうか
「ありがたみ」を感じるかどうか
そう
自分が幸せになるために心がけること
その2つ目は
感謝すること
「当たり前」とか「当然」と思えば
やってもらったことに対して
評価したり
不足していないか考える
不足していれば不満さえ抱いてしまう
「ありがとう」や「ありがたい」と思えば
プラスの出来事として捉えられるので
嬉しさや人の温かみといった印象が残り
幸せに繋がっていく
同じ行為を受けていても受け取り方で
「優しさのおすそ分け」の
育ち方が違ってくる
ここで
想像してみてほしい
助けてもらうのを当然と思っている人が
助けてもらったとしても
不満ばかり口にしていたら…
あなたはその人を
今後も助けてあげたいと思うだろうか?
感謝される方が嬉しいよね
だから
「ありがとう」は大切
自分が困った時に
助けてくれた人に対して
感謝の気持ちを抱いたら…
もし、その人が困った時には
今度は自分が助けてあげたいと思うだろう
あるいは
助けてくれた人に直接お礼はできないけど
同じように困ってる人がいたら
助けたいと思うこともあるかもしれない
これも「優しさのおすそ分け」
つまり
優しさが人と人の間を巡っていく
ということ
誰かの「優しさのおすそ分け」を
次に受け取るのは
他の誰かかもしれないし
自分かもしれない
だから
まず自分に優しくして
感謝の気持ちを持とう
それは自分の幸せにつながっていく
幸せを求めるよりも
幸せを振る舞っていこう
幸せを求める前に自分に優しくなって
「幸せの種」を含んだ
「優しさのおすそ分け」をしていこう
まさしく
「情けは人のためならず」
今回伝えたいメッセージは
幸せになりたいのなら
まず自分に優しくなろう
優しさのおすそ分けと感謝の心が
幸せとなって自分に巡ってくる