大きな病を抱えると
今まで当たり前だと思っていたことが
できなくなってしまう
当たり前に働けていた自分
当たり前に家で家族と過ごしていた自分
当たり前に趣味を楽しんでいた自分
当たり前に食事を楽しんでいた自分
幸福と感じていたことが
できなくなってしまった時
とてつもなく落ち込む
その落ち込みが
大きければ大きいほど
絶望となっていく
病になる前の
過去の自分と比較して
苦悩し
たくさんの涙を流す
そして時には…
人との縁が切れてしまうことも…
自分としては
大切だと思っていた人や
頼りにいていた人の場合は
特に精神的なダメージは大きい
裏切られた気持ち
とも言えるかもしれない
けれど
とらえ方によっては
「病を得たことで
その人の本質を知ることができた」
ともいえるかもしれない
もしかしたら
病にならなければ
気づけなかったのかもしれない
家族が存在することの
ありがたみに気づくかもしれない
手が自由に使える
ありがたみに気づくかもしれない
自分の足で行きたいところに自由に行けるありがたみに気づくかもしれない
好きなものを
好きなように食べられていた
ありがたみに気づくかもしれない
病を抱えたことで
どんどんできなくなっていくと
喪失感や絶望がどんどん強くなる
その渦中はとても苦しいけれど
病は「ありがたみ」に気づかせてくれる
そして
その「ありがたい」という想いは
「まだできていること」に
目を向けさせてくれる
病は
「今できていること」
「今あるもの」
に気づかせてくれる
病を得たことて気づかされることは
本当に多いことでしょう
失ったものが多くても
できなくなったこともあっても
「できていること」や
「今あるもの」
に目を向けるようになったら
「できていることがまだある」
というだけで幸せと感じるようになれる
その気づきを得た病に感謝
今回伝えたいメッセージは
病を抱えてから気づく
当たり前にできていたことの
ありがたみ
そのありがたみに気づかせてくれた
病を得たことに感謝