誰だって叱られるのは嫌だ
自分の好きなようにしたい
自由に振る舞いたい
誰にも邪魔されたくない
なのに小事を言われると…
あなたを叱ってくる人はさまざまだろう
親や兄弟
学校の先生
友人
上司や先輩
自分よりも目上の人から
叱られることが多い
正直、ほっといてほしい
と思うこともあるかもしれない
だけど、逆に
自分が誰かを叱らなければならない場面
という想像してみよう
あなたが叱るその人は
その場にふさわしくない行動を
しているのではないだろうか
生活上のマナーだったり
学校や会社のルールや方針だったり
そのグループの
ルールや価値観、文化といったものなどに合わないから叱る
叱ることでその人を
グループに合うようにするだろう
その人が自分で
グループを観察したり
分からないことを聞いてくれれば
穏やかな雰囲気で説明するだろう
何度説明してもルールを無視したり
自分勝手なことばかりされたり
マナーなどが身についてなかったら…
あなたは叱るのではないだろうか?
ではなぜ叱るのか?
理由の一つとしては
相手にイライラさせられている
からかもしれない
あるいは
部下に対しては業務上必要だから
気が重いけど叱らざるをを得ない
と感じることもあるだろう
楽しい会話と違って
「叱る」という行為は
非常にエネルギーを必要とする
なのになぜ叱るのか?
トラブルなく一緒に行動したい
と思っているから
みんなにとって
居心地のいい空間にしたいから
グループとしての役割を
うまく機能させたいから
具体的には
叱る対象が子供だったら
社会に出ても困らないためにも
マナーやルールを身につけさせたいから叱る
学校やクラスなら
みんなで仲良くしたいから
会社ならば
売上などの成績を上げるためや
部署としての機能を維持向上させるために
グループの一員として
役割を担う人になってほしいから
「集団」として
うまく機能するためにも
乱れた行動をしている人に対して
叱るということが起きるのだろう
それでは
叱られたことを無視したらどうなるのか?
話が通じない人
ルールが守れない人
自分勝手な人
面倒な人
などのレッテルを貼られてしまうだろう
それだけではない
その集団から仲間はずれになってしまう
「村八分」という言葉があるように
集団に迷惑をかけ続けるような人は
村人から相手にされなくなってしまう
困っても誰からも助けてもらえなくなる
つまり
叱ってもらえるということは貴重なこと
叱られている時は嫌な気分になるけれど
叱ってくれている人は
あなたに対して行動を改善してほしい
と願っている
もし
相手があなたに興味も関心もなかったら
叱ってはくれないだろう
あなたが
「この人はもうどうでもいい」
と思った人に対して
わざわざ多大なるエネルギーを使ってまで
叱るだろうか?
あなたを叱ってくれる人は
あなたのことが大切だと思っている
だからこそ叱ってくれる
「叱る」というのは
人が集団の中で生活していくために
自分の間違った行動に気づかせてくれる「ありがたいこと」
そう思った時
素直に相手の言葉を
受け入れることができるかもしれない
嫌な気分になるかもしれないけど
「叱られているうちが華」
と捉えて「ありがたい」と感謝しよう
今回伝えたいメッセージは
叱られている時は
嫌な気分になるけれど
あなたのことを
大切に思っているからこそ
叱ってくれる
そのありがたみに気づいて
感謝できたら
素直に相手の言葉を
受け入れることができるだろう